メキシコ理解講座

  1.メキシコ史の3つのキーワード
(1)インデペンデンシア(独立戦争)の時代 (1810年〜)
独立前の状況
 フランスにナポレオンが登場し、ナポレオン戦争と呼ばれる征服戦争によってスペインが服属国となり、しかもスペイン王が廃されたという事実は、当時ヌエバ・エスパーニャと呼ばれたメキシコに大きな衝撃をもたらしました。メキシコでは、宗主国のスペイン本国がナポレオンの支配下に入ったということで、本国の危機についていたるところで市参事会(カビルド)が開かれ、活発な討議が行われました。ところが、まもなくこの市参事会での議題の中心は、「スペイン本国の危機」のことから「スペイン本国からの独立」のことへと移っていきました。その当時のメキシコはといえば、全人口の約1%強を占めるにすぎないスペイン本国生まれの人々(ペニンスラール)が、政治、教育、教会関係の強大な権限を独占し、同じ白人でもメキシコ生まれのスペイン系の人々は「クリオージョ」といわれて「ペニンスラール」とは明確に区別され、そうした要職につくことは許されていませんでした。また、全人口の52%を占めた「インディヘナ」たちは、隷属民としての地位におとしめられ、先祖から伝えられた土地はスペイン人によって収奪され、その上高い税金に苦しめられていました。したがっ て、クリオージョやインディヘナの人々はスペイン本国人のことを「ガチュピン」と呼んでとても反感を募らせていたのでした。 

独立へのたちあがり
 1810年9月16日、スペイン本国に対する独立の行動をドローレスという町で最初に起こしたのは、クリオージョの神父イダルゴとアジェンデでした。イダルゴとアジェンデは5日後には、現在世界文化遺産に指定されているコロニアル都市グァナファトを激戦の末占領し、やがて、そこに新政府をうち立てます。(現在グァナファトの町を丘の上から見下ろしている「ピピノ記念像」はこの戦いで決死的な武勇を示した坑夫ピピノを讃えているものです。)このとき、イダルゴ神父の軍勢に身を投じた兵士は、8万名にも達していたといわれています。最初の武力蜂起の時の兵力は60名だったとされていますから、わずか1、2ヶ月の間に、義勇軍は1300倍以上に拡大したことになります。しかし、 その4ヶ月後イダルゴ神父は政府軍との戦いに敗れたのち仲間の裏切りにより政府軍に引き渡され処刑されてしまいます。
イダルゴの遺志を継いだのはモレロスという人物でした。イダルゴ神父が処刑された翌年の1812年、モレロスは独立への戦いを始めました。モレロスはアカプルコやオアハカなどメキシコ南部の広い地域を支配下に入れましたが、1815年にやはり政府軍との戦いに敗れ処刑されてしまいました。

2つの勢力にわかれた独立への動き
 しかし、一度火がついた独立へ動きはもう決して消えることはなく、次々とメキシコ各地で独立をめざす人々が兵を挙げ始めました。ところが困ったことに、このころ独立軍の中に二つの勢力が生まれたのです。一つは、ペニンスラール(スペイン本国人)からは独立するために戦うが、独立後はスペイン系のクリオージョが中心となってメキシコを支配すべきだというイトゥルビデらのグループ、もう一つは、独立のためだけでなく多くの不平等がなくなるまで戦い続けることを目的としたゲレーロらのグループでした。メキシコの独立の達成は、この二つのグループが手を結ぶという形で、イトゥルビデ側の主導で進みましたが、まもなく独立国家としてメキシコが連邦共和制を敷いたあとも、この対立は中央集権をめざす「保守派」(セントラリスタ)対、連邦共和政をめざす「自由主義派」(フェデラリスタ)という形で鋭く残ることになりました。

(2)レフォルマ(カトリック教会等保守派の弱体化を図った自由主義的近代改革)の時代(1855年〜)
サンタアナの時代
 メキシコが連邦共和制国家としての歩みを始めた時代の事実上の最高権力者はクリオージョのサンタアナでした。彼は、最初は植民地副王軍の騎兵隊将校でしたが、やがてイトゥルビデの独立軍に寝返り、20年以上も最高権力者の座にすわった保守派の大物です。彼にとっては甚だ不本意でしょうが、サンタアナは数多くのメキシコの指導者の中でも最も政治的失敗が多かった指導者という評価を与えられています。それは、彼の時代にテキサスのメキシコからの分離独立を招いたこと、アメリカに対して無謀な戦争を仕掛け、メキシコシティーまで占領されたあげく、現在の倍以上の領土をアメリカに割譲させられたことの二つをとってみても十分納得されることでしょう。このサンタアナの保守独裁政権の失政に対して、自由主義派(フェデラリスタ)の人々は反乱を起こし、1855年にサンタアナを国外へ追放しました。そして、本格的な自由主義的改革の時代であるレフォルマの時代を迎えるのです。

自由主義の改革
 レフォルマの時代に自由主義派の人々は、従来の保守派の既得利権やカトリック教会の強すぎる権力を崩すために次のような改革を実施しました。
    @軍人や聖職者の裁判上の特権を廃止する法律の制定
    A教会財産接収法
    B婚姻民事化法
    C信教に自由に関する法
    D宗教祝祭日低減令  etc
 これらの改革に対して、カトリック教会勢力と結びついた保守派からは激しい抵抗がおこり、それは内戦に発展しましたが、ベニート・ファレス率いる自由主義派が勝利を収め、1861年にファレスは大統領に選ばれました。(現在の歴史観では、このベニート・ファレスはメキシコ歴代大統領の中でも最も高い評価を博しています。)

(3)レボルシオン(外国独占資本主義の弊害を破るための国家社会主義的な革命)の時代
産業社会の成立
 1876年にポルフィリオ・ディアスが大統領になった頃から、メキシコは世界的な産業革命の進展による独占資本主義の波に飲み込まれていきました。メキシコ国内にもアメリカを中心とする外国の独占資本は容赦なく入り込み、気がついたときには1910年にはメキシコの国土の5分の1が外国資本の所有地となっていました。しかもメキシコの当時の鉱山法では、土地の所有者は埋蔵資源の所有者とされたので、メキシコは商業、鉱工業の主要な部分をすべて外国資本に握られてしまったといっていい状態になってしまったのです。また、この時期には、産業革命期に欧州で一般的に見られた現象がメキシコでもおこりました。それは、社会階級の両極への分解です。つまり、豊かな者は資本の集中によっていっそう豊かになり、都市部では工場を経営して労働者を過酷な条件で酷使しました。また、農村部では、地主による土地の集中が進み、広大な土地を所有する大地主(アセンダード)の荘園(アシエンダ)が各地に出現しました。(われわれが今日しばしば見かける「アシエンダ○○」という広大な敷地を有する荘園領主の館風のホテルの多くは、この時代の建物を改装したものだと考えられ ます。)その一方で、ただでさえ貧しい農民たちは、自らの私有地ばかりか、古くからの共有地(エヒード)さえも失い、この時代に農民の約83%が農奴(ペオン)化していきました。

支配への反乱
 こうしたなか、1905年頃から各地の工場、鉱山、農村などで反政府運動が起こり始めました。この動きをみたフランシスコ・マデーロは、1910年11月20日をもって政府に対して各勢力が力を合わせて立ち上がるように呼びかけたのです。こうしてレボルシオン(メキシコ革命)がはじまったのです。しかし、やはりここでもかつてと同じことが起こりました。つまり、政権を手に入れたとたん急速に保守化していくフランシスコ・マデーロらの「有産階級」グループと、徹底的な土地改革を要求する貧農出身のエミリアーノ・サパタらの「無産階級」グループが激しく対立したのです。この対立の中でフランシスコ・マデーロは暗殺され、革命は複雑な様相を示しましたが、大筋では有産階級グループのウエルタ将軍の政権を経てカランサ政権の1917年に現行憲法が施行されました。この憲法は、大統領の再選の禁止を定めたこと、農民への土地の返還や譲与の考え方を示したこと、1日8時間労働制、男女同一労働同一賃金、労働者の団結権・ストライキ権など、労働基本権の内容を細かく規定したことなど、世界的なレベルから見ても画期的なものでしたが、やはり、まだまだ当時のメキ シコの実状とは大きな隔たりがあったようで、この憲法の精神がメキシコ全土に普及するのには、乗り越えなければならない多くの困難があったようです。

土地改革と石油産業
 さて、これだけでは、「外国独占資本主義の弊害を破るための革命」としてのレボルシオンの意味は理解できても、「国家社会主義的側面を持つ革命」としてのレボルシオンの意味は理解できません。では、レボルシオンの国家社会主義的な側面とは何だったのでしょうか。これを理解するためには、1920年に大統領になったオブレゴンの時代と1934年に大統領になったカルデナスの時代にふれなければなりません。オブレゴンは大統領に就任すると、長年の懸案であった国家権力による大規模な土地改革を開始しました。彼が政権を担当した4年間で170万ヘクタールの土地が16万人の農民に分け与えられました。さらにカルデナスの時代には、この土地改革は一層強力に推し進められ、2千万ヘクタールの農地が77万人の農民に分配されました。また、カルデナス政権は、この土地改革の実施に伴う形で、外国資本の所有していた多くの大農園(プランテーション)を接収しました。このような外国資本の接収・国有化は、鉄道や石油産業にまで及ぶ大規模なものになりました。これがレボルシオンのもつ国家社会主義的性格といえるでしょう。なお、国有化後の石油産業は、ペメックス( メキシコ石油公社)として現在に至っています。したがって、メキシコ全土のガソリンスタンドはすべてPEMEXを名乗り、国営企業らしく全国同一料金で営業しています。

                     
           参考文献:日本メキシコ学院日本コース編『ビバ・メヒコ』 1995年